こんにゃくん@史学徒

こんにゃくの妖精です。都内の大学で歴史学の研究をしています。オーストリア=ハンガリー二重帝国史を一生やっていくのではと思います。

歴史学における「ミクロな視点」と「マクロな視点」ー現在の歴史学は「マニアック」過ぎるのかー その1

現在の歴史学の研究テーマは「マニアック」過ぎるのでしょうか?『史学雑誌』など主な歴史学の学術雑誌に載っている論文のタイトルを見ても、特定の時代と地域の、さらに細かいテーマが論文のタイトルになっています。下にいくつか実際の歴史学の論文のタイトルを挙げてみました。いずれも『史学雑誌』に掲載された論文です。

 

坂下史(1997)「名誉革命体制下の地方都市エリート:ブリストルにおけるモラル・リフォーム運動から」 『史学雑誌』vol.106(12),  pp.2067-2210.

米岡大輔(2014)「オーストリアハンガリー二重帝国によるボスニア領有とイスラーム教徒移住問題」,『史学雑誌』123(7), pp. 1 -37.

前野利衣(2017)「十七世紀後半のハルハ=モンゴル権力構造とその淵源ー右翼のチベット仏教僧に着目して」,『史学雑誌』126(7),pp. 1 -34.

 

 うーん、一見テーマが細か過ぎるという感じがしませんか?いずれの論文のタイトルを見ても、ある時代と地域の、スペシフィックなテーマについて扱っていることがわかります。もうこの世界の歴史は研究され尽くしていて、他に調べることがないからこのような「マニアックな」テーマが選ばれているのでしょうか?

 そうではなくてこれにはちゃんと意味があります。それがこれから書いていく「歴史学における『ミクロな視点』と『マクロな視点』」です。たぶん長文になると思うので、何回かに分けて書いていきたいと思います。

 

1、「歴史家像」のギャップ

 どうも世間一般の人が考えている「歴史家像」は自分のような、歴史をやっている人間が考えているものとは違うらしい。アルバイト先の友人と話しているとき、こんなことがありました。

友人:「こんにゃくんって大学で何の勉強をしてるの?」
僕:「歴史だよ。専攻しているのは西洋史。」
友人:「へえ、面白そうだね。だったら聞きたいんだけど、ナポレオンって本当に一日三時間しか眠らなかったの?」
僕:「(そんなの知らないよ、と言いたくなるのを飲み込んで)なんやかんやでバレない上手く居眠りしてたんじゃない?さすがにそれはよくわからないや。」
友人:「だったら西洋史の中でも大学では何を勉強してるの?」
僕:「卒論は19世紀オーストリア=ハンガリー帝国におけるムスリム住民について書くつもりだよ。」
同期「へえ、めっちゃマニアックなことやってるね。オーストリアの歴史全般とかじゃなくてそこピンポイントでやってるんだ。」

 はじめに断っておきますが、彼のことを貶すつもりは毛頭もありません。実際のところ、一歩大学の外に出て自分は歴史を研究しているというとこのような反応をされることは決して少なくないからです。このように自分のような歴史学をやっている人間の「自己像」と世間の人々の考える「歴史家」や「歴史学」には大きな隔たりがあることは言うまでもないと思います。大学の歴史学を学術的な研究ではなく「高校の世界史の延長」と考え、高校では教わらない深い知識を詰め込むところだと考えている人も少なくないようです。また冒頭の話からもわかるように、世間一般の人が抱く歴史家に対するイメージは多少言い過ぎかもしれないですが、「クイズ王」であり「物知り博士」なのかもしれないと思います。
 そうした普通の世の中の人々が歴史学の有用性、歴史学と社会の関わりを理解する大きな障壁になっているのが歴史学の「ミクロな視点」だと私は思います。この記事では、歴史研究における「ミクロな視点」と「マクロな視点」の関係について書いていきますが、議論の出発点にはこうした私自身の問題意識もあります。

今回は一度ここで区切り、次回に話を続けたいと思います。最後まで読んでくださりありがとうございました。