こんにゃくん@史学徒

こんにゃくの妖精です。都内の大学で歴史学の研究をしています。オーストリア=ハンガリー二重帝国史を一生やっていくのではと思います。

歴史学における「ミクロな視点」と「マクロな視点」ー現在の歴史学は「マニアック」過ぎるのかー その2

2、現在の歴史学は「切手収集」か 
 現在の歴史学は「切手収集」と揶揄されることがあります。すなわちすでに定まった全体像あるいは大枠を動かすことはできず、ひたすら一層細部に迫り、未だ明らかになっていないより細かい事実の発掘を積み重ねていくというものです。冒頭でも少し述べたように、もうこの世界の歴史は研究され尽くしていて、他に調べることがないからどんどん細かいテーマが選ばれている、というようにも言えると思います。確かに現在の歴史学の学術論文のテーマはほとんどの場合「マニアックな」(限定的かつミクロな)ものとなっています。
 1970年代にフランスの思想家リオタールはその著書「大きな物語の終焉」の中で大きな物語を描き出すことはできなくなったと述べています。 これは小田中直樹によると、リオタールのこの言葉は歴史そのものの終焉を意味しているのではなく、複雑化する世界の中で歴史のトレンドを描き出すことができなくなったということです。 「歴史のトレンド」が描け出せないということは、歴史学は解釈ができないということと同義であると続けて小田中は述べています。

 確かにかつては「大きな物語」の歴史学が流行していました。一つの切り口からダイナミックに一つの歴史像を描き出す歴史学です。例えば、戦後の「経済的基底還元論」が挙げられます。これは一言で簡単にいうと、「世の中結局は金なんだから、金の流れを押さえればこの世界はわかるんじゃねえの?」という歴史学の流れです。確かに政治変動の波と経済の波は深くつながっています。例えば日本史における未解決の難問として、「なぜ日本は戦争の道に進んだのか?」という問いがあります。その原因を先に述べたように「経済(お金)」の面から解明しようとする研究が一昔前に流行しました。その原因を一言でいうと、戦争によって一時的にではありますが確実に人々の暮らしは良くなったからです。その当時日本は深刻な不況と失業率(昭和恐慌)に悩まされていました。それが戦争の足音が近づいてくることで、戦争のための飛行機や戦車をドンドン作らなければならなくなりました。そのため結果として雇用が生まれ、人々は仕事に困らなくなりました。そして人々は働いて得たお金でますますモノを買うようになり、再び経済が回るようになりました。そして戦争が始まると、獲得した植民地に日本で生産された工業製品を輸出(「移転」)できるようになります。モノを売るための海外市場まで戦争で手に入れたわけです。こうして人々の暮らしは一時的にではあるがよくなったため、何かがおかしいと思ってもなかなか政治に疑いの目を向けづらかったのだと思います。このように経済の動きからダイナミックに歴史を説明しようとするのが、「経済的基底還元論」です。

 一見この理論はすごく単純でわかりやすく、納得しやすいように思います。しかし、現実世界はお金の流れだけで全てを説明できるほど単純ではないのでは?実際はいくつかの原因がもつれた糸のように複雑に絡み合っていたのでは?という批判がこの理論には寄せられました。私たちだってそうですよね。常に自分が最も得するように行動しているわけではありません。例えば、感情に流されて自分が損をするように行動することだってあります。したがって現在では、個々の原因(史実)に焦点を当て、それらを個別に掘り下げていくことでそこから全体的な歴史像を問い直す、という方向に進んでいます。

しかし研究分野が細かく、複雑になった現在の歴史学では、かつてのような「大きな歴史」を描き出すことが難しくなったということは論を待ちません。この「大きな歴史」の終焉に対して歴史家は無力なのでしょうか?

 実は「歴史の終わり」という話は、19世紀の時点で出ていました。19世紀の歴史家や思想家たちの頭にあったのは、「進歩主義史観」です。これは、時代が進むにつれて世の中はどんどん良くなっていく、もう昔のような野蛮な時代から我々は抜け出したのだ、人類は十分に賢くなったのだ、という(きわめて楽観的な)考え方です。それが正しくなかったことはその後の歴史が証明しているでしょう。「進歩主義史観」では、世の中はどんどん良くなっているわけだから、歴史は単純な方向へと収束していく。したがって歴史を描くことができなくなり、歴史家の仕事は終わってしまう、というように考えられていました。

 「進歩主義史観」を信じていた19世紀の人々が正しくなかったように、先に述べた問いに対する答えは、現在も歴史学が連綿と続いていることからもわかるように否、でしょう。その一つの「解決策」としてのアプローチが歴史学における「ミクロな視点」と「マクロな視点」の相互作用なのです。これはどういうものなのでしょうか。そろそろ字数オーバー気味なので、次の記事でその話をすることにします。