こんにゃくん@史学徒

こんにゃくの妖精です。都内の大学で歴史学の研究をしています。オーストリア=ハンガリー二重帝国史を一生やっていくのではと思います。

歴史学の研究テーマはどうやって決めればいいか?

では前回述べたような、「マクロな視点」にアプローチできるような研究テーマは、どのようにして決めたらいいのでしょうか?そのようなテーマの決定に不可欠なのは次の二つです。

一つ目に、研究史上への位置づけです。言い換えると研究史上の論争にアプローチできるか、もっと言えばそのテーマをやって意味があるかどうかということです。極端な話、理論的には過去のあらゆるものが歴史学の研究テーマとなります。国制史や外交史といった歴史学の花形はもちろん、クロマニョン人の自然観、極端な話をすると「ある歴史上の偉人は右利きだったか左利きだったか」という問いも(一応は)歴史学の研究テーマにできます。しかし、とあるアントワン・プロストというフランス人の歴史学者の言葉を借りると、「歴史研究は、その歴史の問いに値するものに値する」のです。ちょっとわかりにくいですね。これは、「問い(研究テーマ)の価値がその人の歴史研究の価値」だと言えるということだと私は思います。極端な例を上げると、「ある歴史上の偉人は右利きだったか左利きだったか」という研究テーマは、確かに趣味のレベルでは面白いかもしれないですが、学術的な価値はなかなか見出しにくいということになります。

二つ目に史料(歴史を研究する上で手掛かりとなる、自分が研究する当時に書かれた文書)があるかどうかです。歴史家はこの史料を通して自分が研究する時代を見ています。例えば、今の私たちが平安時代の貴族たちが何を食べていたのか知ることができるのも、貴族たちが日記にその日何を食べたかを書いていて、その日記(すなわち史料)が今でも残っているからです。先に述べた一つ目の条件を満たす興味深いテーマだったとしても、史料がなければその当時のことを知ることはできません。そのテーマがやれるかどうかはあくまで史料があるかどうかに左右されるのです。

 したがって、研究史上で論争となっている「マクロな問い」にアプローチでき、かつ研究に必要な史料の存在する研究テーマを選ぶことが歴史家にとって大切なのです。

 

 まあここまで偉そうに100年も歴史学やっているように書いてきましたが、こうしたことがわかるようになってきたのはごく最近のことです。史学科に進学したばかりの頃の私はとにかく先行研究が乏しいところを研究しよう、研究が進んでいないところをやろうとしていました。しかし、今考えれば先行研究が乏しい時代・地域あるいは研究テーマにはそれなりの理由があったのだと思います。それは前で述べたように研究史への位置づけが困難で、いわゆる「お勉強頑張りました論文」(口頭試問の際に「それで?あなたが明らかにしたことには何の意味があるのですか?」と言われかねない論文)になりかねないもの、あるいは史料が少なく研究を進めるのが難しいテーマなどです。逆に先行研究が豊富な研究テーマに関しては、確かに膨大な量の先行研究を読まなければ行けなかったり、そこから何か新しいことを言うのはなかなか難しかったりしますが、先行研究の蓄積がある分、論点が明確なことが多いです。つまり何が問題になっているのかがわかりやすいということです。自分の研究を研究史の中に位置づけることは、新しい事実を発掘することと同じくらい大切なのです。そして自分の研究を研究史の中で、さらには社会の中で位置づけるには、自分の専門だけでなく、他の地域や時代(日本史や東洋史)、さらには他の学問分野への幅広い知識が必要になってくるのです(半分自戒を込めて)。

 次回は「事実の積み重ねに意味はあるのか」ということについて書いていきたいと思います。