こんにゃくん@史学徒

こんにゃくの妖精です。都内の大学で歴史学の研究をしています。オーストリア=ハンガリー二重帝国史を一生やっていくのではと思います。

歴史学における「ミクロな視点」と「マクロな視点」― 坂下(1997)を例として

すみません、更新の間が空いてしまいました。前回に続けて、歴史学における「ミクロな視点」と「マクロな視点」の相互作用について、今回は具体的な学術論文を取り上げながら書いていきたいと思います。

 

前回でたてた問いに答えるべく、ここで一例を挙げてみましょう。以下は『史学雑誌』に掲載されたとあるイギリス史の学術論文の書誌情報です。 

 坂下史(1997)「名誉革命体制下の地方都市エリート : ブリストルにおけるモラル・リフォーム運動から」『史学雜誌』vol.106(12) pp.2067-2100 

 タイトルだけ見ると「本当にピンポイントかつマニアックなことを研究しているなあ。」という印象を大多数の人(特に歴史を専門としていない人)は思うのではないでしょうか。高校の世界史の教科書を見てもわかる通り、特に近現代に関しては政治史・外交史を中心にかなりのことが明らかになっています。ゆえに「まだ明らかになっていないこと」を研究しようとした結果、このようなマニアックな研究テーマにたどり着いたのではないかと思う人も決して少なくはないと思われます。

しかし、歴史学研究は必ずしもまだ明らかになっていない事実の発掘のみに終始するものではありません。この論文もまた単なる事実の発掘にとどまらない、背後の大きな問題意識に基づいて書かれたものなのです。その問題意識とは何でしょうか?それは一言でいうと近世イギリス史における中央と地方の関係です。近世イギリスでは、中央に対して地方の力が比較的強かった。このことが革命期のドラスティックな国制変動を経験した中央集権的なフランスに対して、イギリスが二度の革命を経て独自の道を歩んだことと関係しているのです。こうしたマクロな問題をいきなり扱おうとしても扱いきれないし、何とか論文の体裁を整えたとしても極めて概説的なものになりかねない。一つのアプローチとして、近世イギリスにおける中央と地方の関係の検討を目的としてひとつの地方都市の歴史について掘り下げるミクロな研究から、こうしたマクロな問題に取り組めるのではないだろうか。そう考えたこの論文の筆者は、地方都市ブリストルでのモラル・リフォーム運動におけるエリートの役割を通して近世イギリスの中央と地方の関係の考察を試み、筆「はじめに」で次のように述べています。

 

「(前略)近年は名誉革命を起点とする国制上の変革が、単に中央政府関係者と地主貴族、および一部の知識人といった限られた人々だけでなく、いわゆる中間層を含む広範な社会層に影響を与えたことが強調されている。そしてこの変革が、その後のイギリスにおける国家と社会の関係を規定するものであったことが、地域社会を実証的に明らかにした研究によって、主張されはじめている。」

「本稿では、名誉革命からアン女王の治世期に展開されたモラル・リフォーム運動を取り上げて、その実践機関、理念、および運動がおかれた社会的文化的コンテクストを、当時の国際情勢を意識しつつ検討し、運動の発生と終息のメカニズムを解明する。この運動の分析を通して、名誉革命体制下のイギリス社会を、ヨーロッパ史的な文脈を踏まえつつ動態的にとらえなおすことを試みる。ここから明らかになるのは、名誉革命体制成立期の地方都市エリートたちの中央政府に対する態度、および彼らの国家意識のありかたである。」 

 

 上記のマクロな問いの解明にあたり、そうした地方都市のなかでなぜ筆者が「ブリストル」を取り上げているのかについて次に考えてみましょう。その理由について筆者は次のように記しています。