こんにゃくん@史学徒

こんにゃくの妖精です。都内の大学で歴史学の研究をしています。オーストリア=ハンガリー二重帝国史を一生やっていくのではと思います。

自分の意見を持つとは?

自分の意見を持つこととは、必ずしもオリジナルな結論を持つ必要はなくて、その結論に至るまでの自分独自のプロセス、すなわち自分の「核」に基づく見方を示すことなのかなあと最近思った。結果的に同じ結論でも、その過程が異なれば当然違う意見になる。
例えば、大学で歴史学を専攻した人だったら、歴史学はその人の核になりうる。「歴史教育というトピックを取り上げても、大学で歴史学徒と経済学徒では全く違う考え方をするだろうし、同じ歴史学徒でも日本史・東洋史西洋史のどれを専攻したかで考え方がまた違ってくるかもしれない。同じ結論になるかもしれないし、バラバラの結論にたどり着くかもしれない。でもその結論に至るプロセスはひとつとして同じものはないだろう
大切なのは、自分のバックグラウンドに引き付けて、自分独自の思考過程を示すことだと思う。その結果一般論になったとしても、それは多くの人の支持が得られる結論を、自分独自の過程で導き出せたということになる。それは立派な自分の意見だ。
つらつらと自分の意見を持つこと、について最近思うところを書いてみた。